白金、和紙、そして神聖なるもの:小林伸幸の聖なる写真芸術
小林伸幸はかつて東京でコマーシャルおよびファッション写真家として活躍していたが、ランウェイの儚い煌めきから離れ、深く精神的な使命へと踏み出すことを決意した。それは、日本の大自然に宿る古代の神々の「肖像」を捉えることである。私たちは使い捨てのイメージの時代に生きている。風景はスマートフォンで瞬時に切り取られ、エフェクトで加工され、ソーシャルメディアに投稿され、同様の画像の波に飲み込まれてたちまち忘れ去られる。小林伸幸の作品は、私たちに立ち止まり、息をひそめ、まったく異なる時間の尺度の上で向き合うことを求める。
神道のアニミズムを根底に持つ彼の写真は、樹木や川、石を受動的な背景としてではなく、生き、息づく被写体として捉える。彼は瞑想的で敬虔な姿勢で臨み、風景と記憶と霊的な邂逅のはざまに存在するイメージを生み出す。彼の写真は自然を記録することよりも、自然と対話することを志向している。彼は山々を彷徨い、風景そのものが撮影を許してくれる瞬間を待つ。

1990年代、あなたはファッションや商業ポートレートを撮影していました。移ろいやすいトレンド、若さ、均質化された美を追う世界です。野生の自然の有機的な混沌の中で「神々のポートレート」を撮るようになったとき、被写体を見る視点を根本から変え直す必要がありましたか?神霊を人間のモデルと同じようにディレクションしたりフレーミングすることは可能なのでしょうか?
「被写体を見る視点」を変えたか?と問われれば、密かに変えていたのかもしれません。というのも、当時の商業写真撮影においては、いろいろなしがらみの中で撮影していたことも否めません。ですがその領域から抜け出し、純粋に自分の意思で自然と対峙するようになった時、「被写体である自然」、つまりは「神様」を、何のてらいや演出もなく、初めて素直に見ること/受け入れることが出来たように思います。むしろ、相手はモデルや俳優ではなく「神様」ですから、極力演出的要素を排除して、ありのままを撮影させていただけるように配慮しました。「撮影する」ではなく「撮影させていただく」というところがポイントです。「撮影する」という姿勢だと、どうしても自分のエゴ、人間のエゴが出てしまいます。ですが「撮影させていただく」という受け身の姿勢、つまりは謙虚な気持ちで被写体と向き合うと、商業写真撮影とは違う感覚で撮影できたことを覚えています。そういう意味においては、「視点が変わった」というよりはむしろ「気持ちが変わった」あるいは「撮影への組み方が変わった」と言う方が正しいのかもしれません。
岩、小川、古木のひとつひとつを神聖な存在の器として捉える神道の概念に導かれ、彼はこれらの自然の神々の「肖像」を捉えるための長い旅を始めた。

ただ、「構図」の決め方に関しては、雑誌の撮影をしていた頃に培った「ページネーション」という考え方を踏襲して画角を決めて、フレーミングしていました。ファッション写真と違って、樹々や岩に大きな違いや個性がある訳ではありませんし、作品を並べた時の「見え方」を考える意味でも、同じような構図にはならないように気を付けていました。
「神の呼びかけ」のような嬉しい事象があった訳ではなく、極めて自発的な、それでいて自然に起こった心の衝動によって自然を撮るようになりました。”
―小林伸幸

とはいえ、レンズ特性による「演出効果」は排除します。つまり、広角レンズを使ったデフォルメ効果や望遠レンズを使った圧縮効果などは言語道断で、人間の見た目に近い標準的なパース感で撮影しています。実は8×10サイズのビューカメラを使うのはその為でもあります。どのような状況であっても、カメラの前板と後ろ板を動かすことで被写体の歪みを無くし、常に自分と正対している(真っ直ぐ向き合っている)状態で撮影することで、神様への礼節を欠く事の無いようにしています。故に僕の作品を見る人は、常に神様と正対している(向き合っている)という感覚に陥ると思います。
彼の哲学は、伝統的な和紙へのプラチナ・パラジウム印刷という緻密な作業に直接反映されている。

歴史的に見て、日本人は自然を敬い、自然と共生することで文化を育んできました。しかし今日、水が命の源であり、山や岩や樹々に神が宿るというその古来の真理を覚えている人は少ない。ある風景を捉えずにはいられないという、神からの突然の呼びかけを感じた瞬間について、具体的に教えていただけますか?
残念ながら、その通りだと思います。だからこそ、プロジェクト名を「自然の肖像」とし、「八百万の神々」をテーマとして掲げようと決めました。
僕は若い頃、バックパッカーとして4年ほどアジア圏を放浪していたことがあります。その時に、多くの政治的暴動や国境紛争などを目の当たりにしました。そこで感じた事のひとつに「宗教問題」が挙げられます。具体的には「宗教による争いは何故に起こるのか?(勿論、それらは民族問題や領土問題でもあったりする訳ですが…)」ということを大いに考えさせられました。幸いにも日本は多神教文化です。仮に一神教同士での諍いが起こるのであれば、そこに多神教文化の考え方を広めてみたらどうなるのだろう?という考えが芽生えました。そうして放浪期間が終わる頃には、しっかりと「自然の中に見出した神様」を撮りたいと思うようになっていました。つまり、最初はそうした実践から紐付くトライアル的な要素が強かった訳です。ですがやがてその想いは更に強まり、いつしか信念に基づいて作品制作を行うようになりました。故に、「神の呼びかけ」のような嬉しい事象があった訳ではなく、極めて自発的な、それでいて自然に起こった心の衝動によって自然を撮るようになりました。
ですが、ある撮影をきっかけに、その衝動は確信へと変わります。この件に関する詳細は後述しますが、いずれにしても、具体的なイメージが固まらないまま撮影していた当時の僕にとって、ある「岩」との遭遇、そしてその岩を撮影させていただいた事によって、「自然の肖像」というコンセプトが確固たるものとなり、「神様のポートレート撮影」というスタイルが確立したのでした。そういう意味では、その「岩=神様」に「自信を持って取り組みなさい」と、背中を押してもらった瞬間なのかもしれません。
「撮影する」ではなく「撮影させていただく」というところがポイントです。「撮影する」という姿勢だと、どうしても自分のエゴ、人間のエゴが出てしまいます。’
―小林伸幸

逆に、圧倒的な光景の前で8×10の大型カメラをセットしながら、その場所の霊的な存在から完全な拒絶、あるいは扉を閉ざされたような感覚を覚えたことはありますか?
「拒絶された」と感じたことはありません。ただ、日を改めてもう一度カメラをセットする、ということは何度もありました。それは「拒絶」ではなくて、たまたまその日その瞬間に、僕とその被写体との関係性が構築できなかった、ということだと思っています。僕自身の気分が乗らなかったり、被写体と向き合うための精神的な準備が間に合わなかったり。なので、カメラをセットしたにも関わらず撮影ができなかった時は、僕とその被写体とのシンクロ率が低かったのだと諦めて、彼らにお詫びをしつつ機材を撤収し、再来訪を約束して帰途につきます。
彼の作品の多くは、従来の風景写真としてではなく、「神々の肖像」として構想されている。

99%は可能な限り準備/コントロールをしておいて、残りの1%は偶然性に任せるようにしています。100%コントロールされた作品は、結局は自分自身の枠を突き破る事は出来ませんし、自分が想定する範囲内に収まってしまう、小ぢんまりとしたものでしかありません。”
―小林伸幸

山やその地域全体をカバーする「シナプス」の繋がりは、僕の気持ちや態度までをも一瞬でその地域や樹々に伝えるので、自然に対する礼節と気持ち的な穏やかさが何よりも必要だと感じています。事実、自然の奥深くに分け入ると、そういう伝達がなされていることを強く感じます。



あなたの写真は、深い静寂、平和、そして優雅さを呼び起こします。しかし日本の文化では、自然への感覚は地震や津波といった破壊的な力とも深く結びついています。自然の暴力的・破壊的な側面と、あなたが捉えようとする静かな優雅さ(幽玄)を、個人としてどのように折り合いをつけているのですか?
確かに、自然のひとつの側面として、地震や津波の脅威を無視することはできません。むしろそれらの事象を、(科学的にではなく)自然崇拝の一面として捉える必要があると考えています。そうした脅威を、「畏怖」として感じ、そして受け入れることで、自然への敬いや謙虚な行いに繋がってきた歴史が日本にはあります。「畏怖」を感じるからこそ、先人が残した伝承を守り、自然との共生を目指してきたのだと思います。そう、日本には自然との共生を望む声はあっても、自然を支配しコントロールするという意識は皆無です。なので僕が自然の中に分け入る時にも、平穏と脅威は表裏一体との意識を常に持って行動しています。そして畏怖を感じずに山の中に入ることは、自然に対して失礼であるとすら思っています。自然は怖い、だからこそ敬い慈しむ必要があると感じているからです。
故に、僕は自然の脅威も撮影しています。例えば2011年に起こった東日本大震災の時も、僕は毎週末現地に通い、1年に渡って写真を撮り続けました。恐ろしいほどの自然のエネルギーを目の当たりにし、自分の無力感を痛感した日々でした。ですがそうした情景を知っているからこそ、自然のもうひとつの側面としての「穏やかさや優雅さ」を、作品としては捉えていきたいと思っています。ですが撮影時の僕のそうした気持ちが見え隠れするのか、僕の作品を見る際に、そうした自然の「畏怖」を感じ取ってくれる人もいます。そうした気持ち的な部分も読み取ってくれる人がいること、それが僕の、作品作りにおける何よりの喜びです。
彼の芸術的実践は、職人技であると同時に、ゆるやかな献身の行為でもある。

写真は純粋に視覚的な媒体ですが、神道の霊性は音(風の音)、匂い(湿った苔)、自然のサイクル、そして熱や冷たさといった感覚によって感じ取られるものです。山を歩いたり、川辺に佇んだりするとき、五感を頼りに、視覚以外の感覚をどのようにして白黒のプラチナプリントへと翻訳するのですか?
逆説的になりますが、僕にとっての「良い写真」とは、見る人の「五感が動く」ことだと思っています。例えば僕の作品を見て、風を感じる、匂いを感じる、湿度を感じる、色を感じる、そして、触ってみたい等々、その人の五感が動くことで、良い意味で心がざわつく瞬間が訪れること、それが素晴らしいことだと思っています。そうした願いを常に持ちながら山河を歩き撮影していると、そうした五感的要素がプリントにも織り込まれていくのかもしれません。
写真家として時代に流されてただただ消費されていくよりは、仮に生活が苦しくても、作家として撮りたいものを撮り、作りたいものをこだわりを持って作っていく。そうした、ブレる事のない誇りと信念を持って生きていきたいと思っています。”
―小林伸幸

また技術的な話としては、ご存知の通り僕はプリントの支持体に和紙を使っています。その和紙が持つ繊維の一本一本が、プラチナプリントの表現力とリンクして、銀塩プリントや顔料プリントでは伝えられない空気感をもたらしているとも言えます。例えば市販されている「印画紙」のほとんどは、表面がツルツルです。ツルツルの素材から撮影時の臨場感を読み取ることは難しいかもしれません。トーンカーブを変化させれば暗部から明部まで表現できてしまうデジタル写真では、被写体の質感や存在感を忠実に再現させるのは至難の業かもしれません。そうした想いがあるために、僕はアナログの質感/素材感にこだわるのかもしれません。そしてアナログ要素で構成されたプリントだからこそ、それを見た人の五感が動くのかもしれません。だからこそ僕の作品は、実物を見ていただかないと、悲しいかな、その効果は半減してしまうのかもしれません(笑)。

細川和紙を入手してから実際に印刷を始めるまで、3年から5年間乾燥・熟成させることで知られています。この待機期間に紙はどのように「変化」し、成熟するのでしょうか?撮影する自然の忍耐と、自分の芸術的な選択と実践の忍耐とを重ね合わせているという感覚はありますか?
和紙は、数年寝かせる(乾燥・熟成させる)事によって、紙自体が「締まる」のです。締まることで強靭さが増し、水にも溶けにくくなります。逆に言うと、漉き上がって(出来上がって)間もない和紙を水に浸すと、直ぐに溶けてしまいます。ちなみにここでひとつ、面白い話を紹介します。紙漉きの職人さん曰く「和紙を構成する木の繊維は、自分が元々は木だった事、そして水の中でほぐされて「繊維」になった事を覚えていて、直ぐに水に戻ろうとする」のだそうです。つまり、木の繊維に「紙になったこと」を自覚させ、水には戻らずに紙のままでいさせるために、数年の期間が必要なのだそうです。職人さんの、和紙制作への愛を感じるエピソードですよね。ですがプリント制作において和紙を扱っていると、確かにそう実感することがあります。締まりのない和紙を水に入れると、直ぐにばらけてしまうのも事実です。そしてそれは、和紙を触った時の手触りでも判ります。年数の経っていない和紙は、紙自体に腰がなく、どこかフワフワしているのです。そして紙の表面の繊維が毛羽立ちやすいので、プリントの仕上がり品質に多大なる影響を及ぼします。ですがきっちりと締まった紙は、紙自体に張りと腰がある為、繊維一本一本の光沢感も冴えていて、仕上がりも良いのです。勿論、表面の毛羽立ちもありません。こうした理由から、僕は3年以上寝かせた和紙だけしか使わないようになりました。
そして撮影時に「シャッタータイミングを待つ」ことと、上記のように「素材が熟成して使えるようになるまで待つ」こと、これらは、僕にとっては同意です。「今だ!」と感じるその瞬間を待つことは、作品制作における、僕の「こだわり」のひとつなのかもしれません。




侘び寂びの文脈において、あなたは手塗りのプラチナ/パラジウム乳剤の不規則で生々しい縁を意図的に作品の周囲に残しています。その不規則さが「神」を美しく縁取るときと、逆に気を散らすときの境界を、どのように判断するのですか?職人としてのコントロールと、和紙の生の意志との対話はあるのでしょうか?
楽しくなる質問ですね(笑)。確かに、僕の作品には、イメージを縁取る黒い線が存在しています。勿論、手塗りによって生じる線ですから、不規則なものです。もしかすると、その線を邪魔だと思う人もいるかもしれません。ですが僕にとっては、その不規則な線こそが必要不可欠なものであると認識しています。と言うのも、僕は、撮影時もプリント制作時も、100%完璧にコントロールしようとは思っていません。むしろ99%は可能な限り準備/コントロールをしておいて、残りの1%は偶然性に任せるようにしています。何故かと言うと、100%コントロールされた作品は、結局は自分自身の枠を突き破る事は出来ませんし、自分が想定する範囲内に収まってしまう、小ぢんまりとしたものでしかありません。ですが、僅か1%だけでも偶然性や他の要素に任せると、その作品は良い意味で、自分では予想もつかなかった結末を迎えることが往々にして起こります。何しろ「神様」を撮影しているので、想定内で収まることが良い事とも思いませんしね(笑)。

なので、そうした偶然性やある種の「奇跡」が起こることを常に望んでいますし、その為に準備をし、待ち時間を重ねています。つまり、その1%の余白の中で、神様(被写体と、それを取り巻く環境)との対話が成立しているのかもしれません。その対話の結果、準備していた99%が無駄になっても良いのです。その99%と引き換えに、偶然性や奇跡に満ちた100%の状況が目の前に展開されるのであれば、それこそが神様に、ひいては自然に受け入れてもらえた証拠だと思えるからです。逆説的にはなりますが、そうした99%の事前準備や想定イメージが無ければ、目の前に実際に生じる偶然には、なかなか対処できない、と言うよりも、気が付かないものです。そうした意味では、職人として和紙との対話があるか?と言うことよりも、最初から最後まで、被写体である「神様」との対話があるかどうか、そしてその中で起こりうる偶然は、「神様によって導かれたもの」と、図々しくも考えるようにしています(笑)。

特別な思い入れのある一枚はありますか?その写真の物語と、なぜそれが特別な意味を持つのかを聞かせてください。また、その一枚を通じて、人間が忘れ続けている、自然だけが理解していることとは何だったのでしょうか?
あります。僕の1冊目の写真集の表紙にもなっている「岩」の写真です。この「岩」については前述もしていますが、この「岩」と遭遇し、撮影ができたことによって、僕の想いや作品コンセプトが確固たるものとなりました。何故なら、この岩との対面こそが「導いてもらえた」と強く感じた瞬間ですし、目的地もないまま彷徨っている中で辿り着き、「そういう事だったのか…」と、到達できた理由を理解した相手だからです。だからこそ、この写真こそが僕にとっての「ベスト」と言っても過言ではありません。

対面した時は驚きもさることながら、まさに涙が出るほどに感動しました。体の震えがいつまで経っても収まらないほどの衝撃。今でも、その感覚を鮮明に覚えています。そしてその翌朝の撮影時には、想像を遥かに凌ぐ奇跡が起こりました。そうなるともう、疑う余地はありません。撮影という行為そのものが、「神様との対話」なのだと気が付きました。と同時に、神様を撮らせてもらっているのだという自覚が改めて芽生え、感謝の念が絶えませんでした。
こうした一連の流れが、僕にとっての「特別な理由」です。そしてその写真には「然」というタイトルを付けました。「然」とは、つまり「然る(そうである)」という意味。加えて仏教においては、「自ずから然る」という意味であり、人間の作為や計らい(損得勘定や無理なコントロール)が全くない、あるがままの真理の姿を指しています。「そのままで良い」「そこにいるだけで美しい」、そうした作為や演出の一切ない姿を目の当たりにし、かつ自分もそうありたいと願ったからこその「然」。僕にとっての最高の作品です。

多くの現代の写真家は目新しさを追い求めます。あなたの作品は、注意深い眼差しへの献身に満ちているように感じられます。忍耐と感性、どちらがより重要ですか?注意深さとは、失われつつある芸術的スキルなのでしょうか?
僕の作品を見て、「こだわり」を感じていただけるのであれば嬉しいことです。目新しさを追い求めるのは時代の常かもしれませんが、と同時に、古き良きものを追求し深掘りすることも、やはり大事なことだと思っています。思えば僕が写真の専門学校に入学する際、その入学式において学長はこう言いました:「これからはデジタルの時代です」。そこで僕は瞬時に思いました。「皆がデジタルを求めるのであれば、僕はアナログを極めよう」と。そうして、その思考は今でも変わらずに続いています。写真を始める最初の段階から既にそうした思考でしたから、手間がかかる事、面倒に感じる事に対しても、避けて通る事はありませんでした。むしろ積極的に取り組んできたように思います。なので「忍耐」に関しては、ごくごく自然に身に付いたものなのかもしれません。故に僕にとって「忍耐」は苦痛なことではなく、理想を追い求める上で必要な要素ですから、過去に「感性」と比較した事はありません。ですが、その双方を強いて比べるならば、「感性」の方が大事だろうとは思います。何しろ「感性」こそが、全ての創作における出発地点ですから。感性を土台にして創作をスタートさせ、制作の途中で忍耐が必要になってくる、そういったイメージでしょうか。ですがその「忍耐」や「やり続ける」ということも、別の意味で「才能」だとは思っています。どんなに感性豊かな人でも、やり続けることができなければ、作品は生まれませんからね。なので僕の回答としましては、「忍耐」と「感性」はどちらも重要、ということになります(笑)。

そして制作における「こだわり」は、ご推察のとおり失われつつあるスキルなのかもしれません。もはやどんなにこだわっても、その「こだわり」に気が付かない人が多くなっている気さえしますから。だからと言って「こだわり」を捨てる訳にはいきません。何故なら「こだわり」こそが、作家が作家として生きる為の生命線だと思うからです。「こだわり」は、作家のポリシーでありスタイルです。そして作家の生き様であり人生哲学です。それが無ければ、そもそも作品を作り世に発表する意味が無いかもしれません。それくらいに大事なものだと思っています。
今はAIの時代になり、自動生成画像が無数に作られますが、それらは全て、平均値の中から出てきた模倣品でしかありません。何故ならAIは「こだわり」を持ち合わせていませんから。つまり、今後作品が評価される際には、「こだわり」がひとつの価値基準になってくるのではないかと思います。「こだわり」が失われれば失われるほど、そこに「価値」が見出されるのも、また時代の常だからです。

私たちは、超高速で使い捨ての画像、AIが生成した風景、即時の満足感が溢れる時代に生きています。あなたの作品はその対極にあります。触覚的なものや神聖なものへの感覚を失いつつある急速に変化する世界の中で、アナログによるオルタナティブプリントという肉体的で労働集約的な行為は、どのようにして希望を保ち続けることができるのでしょうか?
「対極」ですか? そうだと思います。何しろ前述のとおり、そのポジションの確立を目指してきましたから(笑)。それを「馬鹿げている行為」「孤独な闘い」と揶揄する人も少なからずいますが、そうした評価や評判を、僕は全く気にしていません。むしろ、ラッキーなことだと感じています。勿論、ニーズが無くなれば製品は販売されなくなり、必要なものは全て手作りしなければならなくなります。ですが、その作業を苦とは思わずに続けられたら…、最終的には「世界で只一人」という称号を与えられるかもしれません。ただ、そこに価値を見出してくれる人が存在しなければ、そのような称号もただの紙屑同然ですけれど…(笑)。なので時代とニーズとを計るバランス感覚が必要になるとは思います。

ですが、時代は巡ります。懐古主義という言葉もあるように、デジタルが盛んになればアナログに温かみを感じ、AIが興隆すれば逆に人間味が求められるようになるでしょう。つまり作家である以上は自分の主義主張や哲学、そしてこだわりが重要なのであって、その感性を持ち得ていることこそが、将来に対しての「希望」であるような気がしています。
日本には、「武士は食わねど高楊枝」ということわざがあります。「生活に困窮しても気位を高く持て」という意味ですが、僕はこの言葉が結構好きです。写真家として時代に流されてただただ消費されていくよりは、仮に生活が苦しくても、作家として撮りたいものを撮り、作りたいものをこだわりを持って作っていく。そうした、ブレる事のない誇りと信念を持って生きていきたいと思っています。
そして最後に、もうひとつだけ付け加える事があるとすれば…、そうした孤独で大変に思われがちな創作活動を、僕は全力で楽しめる性格だという事です。これは神様が僕に与えてくれた、本当の意味での「才能」なのかもしれません。
写真提供:© 小林伸幸

Ciao! My name is Dominique. I’m Italian and I’m proud to be a mix. My father was an Italian chemical engineer and high school teacher, with Greek and Polish heritage. My mother is Haitian, she was high school language teacher, with Dominican, Spanish, French, Portuguese, African and Native American heritage. Being a mix makes me appreciate to want to understand different cultures and lifestyles. I grew up in Italy, lived few years in Haiti, travel around main European capitals, lived many years in China, in Spain and UK. Traveling makes me feel that we can learn something from every situation in every part of the world.
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